
明日までの、共同生活です。
いやー。かわいい。
あの人には負けるけれどもね。
This dog called VIVI.
My room mate and share till tomorrow night.
Isn't VIVI CUTE!
OK. Let's go to the park with VIVI right now!
See you.
と、ここで岡本太郎の言葉をひとつ。
「飼いならされた動物と人間の関係は卑しい。」
-「眼 美しく怒れ」 岡本太郎 より -
日々暮していくなかでの備忘録として

日本は多神多仏で、一言でいえば、1神教というのは砂漠で育った宗教です。砂漠では、自分の生き先や方向を的確に判断する必要があります。もし判断を間違えれば、オアシスにたどりつけなくて死ぬ。右なら生、左なら死、そういう二者択一なところです。
そういうところでは、神は一人でないと困るわけです。すなわち、ジャッジは一つでなければ困る。いろいろ右や左や真ん中があっては迷うだけですね。それが砂漠型の宗教、すなわちモーセの宗教、ユダヤ・キリスト教、あるいはイスラームというものです。
一方、雨季の多いガンジスやインダスや黄河に育ったヒンドゥー教や仏教やタオイズムは、森林型の宗教です。多神多仏です。森林の中では見通しがきかないうえに、雨季も乾季もあり、たくさんの猛獣や虫や植物がはびこっている。そのような中で身を守って生きていくためには、一人の知恵や意見では足りません。樹木について詳しい人、キノコについて詳しい人、蛇について詳しい人、あるいは雲や風雨に詳しい人たちが、それぞれに意見を出し合って方針を決めていく必要がある。つまり合議によって決断をしていくほうがいい。
1神教的な世界から見ると「何をいつまで談合してるんだ」ということになるんですが、そこにはタイムラグがあるわけです。



