2010年1月16日土曜日

いもむし



すこし前に、壁に直接玄関によくあるようなコート掛けを書いて、掛けるとこだけ本物のフックをつけるっていう楽しそうな物があると先輩に聞いて、それ時計でやってみようと思ってつくりはじめました。
来た人に一個ずつかいてもらおうと思ってんですが、誰も書いてくれませんね。いもむしをかいてみました。



今、読んでる本で松岡正剛さんの「連塾ー方法日本ーⅡ 侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力」があるのですが、とてもおもしろい。Ⅰもおもしろくていろんなことに気付かされたし。まだこのシリーズはつづくみたいで楽しみです。
まだ3割くらいしか読んでないのですが、すごくおもしろいところがあって、欧米との時間の単位の差についてでしたが、


日本は多神多仏で、一言でいえば、1神教というのは砂漠で育った宗教です。砂漠では、自分の生き先や方向を的確に判断する必要があります。もし判断を間違えれば、オアシスにたどりつけなくて死ぬ。右なら生、左なら死、そういう二者択一なところです。
そういうところでは、神は一人でないと困るわけです。すなわち、ジャッジは一つでなければ困る。いろいろ右や左や真ん中があっては迷うだけですね。それが砂漠型の宗教、すなわちモーセの宗教、ユダヤ・キリスト教、あるいはイスラームというものです。
一方、雨季の多いガンジスやインダスや黄河に育ったヒンドゥー教や仏教やタオイズムは、森林型の宗教です。多神多仏です。森林の中では見通しがきかないうえに、雨季も乾季もあり、たくさんの猛獣や虫や植物がはびこっている。そのような中で身を守って生きていくためには、一人の知恵や意見では足りません。樹木について詳しい人、キノコについて詳しい人、蛇について詳しい人、あるいは雲や風雨に詳しい人たちが、それぞれに意見を出し合って方針を決めていく必要がある。つまり合議によって決断をしていくほうがいい。
1神教的な世界から見ると「何をいつまで談合してるんだ」ということになるんですが、そこにはタイムラグがあるわけです。


すこし強引な感じがしますけれども。
欧米から入ってきたものがスコンと入るときと違和感があるときと、うまく吸収してしまうときとがある気がするのだけれども、その理由の一つをわかりやすく書かれているなと思いました。

すこし話がだいぶ飛びますが、小乗仏教と大乗仏教に興味があって、日本はほとんど大乗仏教だと思いますが、とっても日本的でいいな~と思っていて、仏教の歴史に今興味津津です。
今は小乗とか大乗とか言われなくなってきてるみたいですね。

五木寛之さんの親鸞よんでみたいです。

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